2010年5月19日か28日までギリシャへ行って来ました。 ギリシャ滞在は正味8日間です。 往復ともドーハ経由のカタール航空エコノミーのパックツアーです。 毎月送付されてくる小冊子のパンフレットでは最初の1日は夜の10時頃の集合で2日目の0時過ぎの出発になっていて、これで海外保険を1日目から取るのかと疑問に思っていたところ出発1週間前に送られて来た「日程表」では1日目の23時55分出発に変更されていました。 飛行機事故では離着陸の事故が大半だからこれでは1日目から保険に入るのも仕方がないか。 (但し、飛行機の出発は大体が遅れて翌日に入り込む事が多いのでこの時刻での1日目の保険料には矢張り疑問は残るけど。 客の意思で2日目から保険を掛けることが何故出来ないのか。) 又このツアーに参加することを決定づけた毎月送付されてくる小冊子のパンフレットにはアテネで「ゼウス神殿」など他2箇所を案内します。となっているのに実際はバスでその前を通り過ぎる車窓からの観光になっていた。 このことは出発1週間前に送られて来た「日程表」で知ったのですが実際は申込書が送付されて来た時に同封されていた「ヨーロッパ編」と言う冊子に同様な案内があり、頁の最後の行に小さく「*観光内容につきましては、別冊「ご旅行代金表」の観光のご案内のページをご覧ください。」となっていて、別冊の旅行代金表を見ると確かにギリシャの「アテネ市内観光」の覧にゼウス神殿など3箇所は「バスの中より観光します。」となっている。 しかしどう考えても「~へ案内します。」と言う意味とバスで前を通過するだけでの「バスの中より観光します。」では全く意味が違う。 そもそも見える側の窓とは反対側に座っている者に対してはどう弁明するのか。 もしバスで前を通過するだけが「~へ案内します。」と言うならバスや列車で通過する街や駅は全て観光先にしてもよいことになる。 客がどの旅行社のどのツアーに参加するかを決める最初のパンフレットである毎月の小冊子に仰々しく「~へ案内します。」としておきながら、決断した後に送られて来た冊子(それも日程表にではなくわざわざ別冊子の料金表ーーー料金は既に分っているので見る必要はない。)で記載して違法性を逃れようとしている。 以前問題となった携帯電話の新聞広告と同様に客の勘違いを引き起こさせて誘導するやり方そのものである。 それはそうと愚痴はこれ位にします。
ギリシアという名称は、ラテン語名のGraecia(グラエキア)がポルトガル語のGrecia(グレスィア)となりこれが宣教師によって日本にもたらさた後いつのまにかギリシャと変わってしまったそうです。 英語表記は Hellenic Republic で、通称Greeceでギリシャ(共和国)と言うのは日本語です。
面積は日本の約3分の1(このうち20%がイオニア海やエーゲ海に浮かぶ島々の面積、最大の島はエーゲ海南方に浮かぶクレタ島)。 人口は約1千百万人超(98%がギリシャ人)でそのうち約1/3が首都アテネに住んでいます。
ギリシャのほぼ全土が地中海性気候に区分され、温暖で湿潤な冬季と乾燥し高温の夏季にはっきり分かれます。
服装は、春秋は普通の合わせ着を(5月下旬だったので半袖を主に、寒いと感じた時には上から長袖をと思って用意をしましたが殆ど半袖だけで十分でした)。 夏は薄着でかまいませんが、夜間は日中との温度差があるので、薄手のカーディガンかセーターが必要だそうです。
時差は日本より7時間遅れ。ただし3月最終日曜日から10月最終日曜日前の土曜日まではサマータイムとなり6時間遅れです。 と言うことで時計とカメラとGPSを日本からドーハへ向かう飛行機の中で(日本時間ー6時間)に設定しました。 しかしそれにしてもギリシャでは夜の8時過ぎでもまだまだ日が明るく9時頃になってやっと暗くなります。 夜明けは朝の6時過ぎ位でしょうか。 と言うことでサマータイムがなければ5月下旬で朝5時過ぎから夜8時半頃まで昼間ということになります。
アテネ国際空港(正式:エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港)でのギリシャへの出入国の際には出入国カードの提出は不要です。 シェンゲン協定国圏外(日本など)から到着の場合は、パスポートおよび手荷物の検査が行われます。
出発日の2010年5月19日と言うとギリシャの財政危機に端を発した「ユーロ売り」が進み関空で円をユーロに交換した時のレートは116.09円/EURO(仲値は111~112円でしょうか)でした。 しかし直近の最安値は6月7日の108円台(仲値)で今後財政危機がイタリアやスペイン、ポルトガルに及べばもっと下がるかもしれません。 円が高くなれば海外旅行をする者にとってはこれほど有り難いことはありません。 しかし出発前日までギリシャ政府が議会で可決した財政再建策の公務員の給料引き下げや年金支給開始年齢の繰り上げなどに反対する公務員や市民が抗議のデモやストを行なっていたためどうなることかと心配していましたが、2日目のアテネの観光を後半の27日(9日目)に振り替えて実施出来たのでホットしました。 ギリシャの三大収入源は移民からの送金と海運業と観光業だそうです。 その観光業でデモやストにより観光客に迷惑を掛けてこの国は果たして財政再建可能なんでしょうか。 もっともこの辺りの地中海に面したヨーロッパの国では人々は余り働かない(ある意味人生を楽しんでいる)そうで特にギリシャは普段から観光客に対するサービス精神は全くないと言うことだそうです。 人々の客に対する動きは極めて鈍く唯一例外はアテネの国立博物館の警備でした。 展示物の周辺には大勢の男女の警備員が常時観光客が写真撮影をしないかを見張っていました。 今まで行った他の国には見られない程厳重で、本当に皆さんよく仕事をしておられました。
又海運業では古代から地中海一帯で貿易を展開してきた歴史があるせいか、オナシス家、ニアルコス家、ラティス家、マルチノス家、などなど海運王が多く、船舶保有量は世界第4位の2,870万総トンに及んでいます。 ケネディ元米大統領(1963年暗殺)の夫人ジャクリーンさんが海運王のオナシスさんと再婚したのも当時話題になったものです。
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第1部はギリシャ共和国の首都アテネです。 自由時間が5月26日(8日目)の夕方と27日(9日目)の午前中にあったので2回とも1人でホテル「オスカー」(アクロポリスの丘の北北西ラリッサ駅の近くにあります。)からオモニア広場、中央市場を経てアティナス通り(モナスティラキ駅北側の通り)を紫の花が咲く街路樹(ジャカランダの木でノウゼンカズラ科に属する中南米原産です。)の中を、写真を撮りながら徒歩で片道大体40~50分要したでしょうか最後にモナスティラキ広場に到達し、そこからアクロポリスの丘を見上げていました。 今思えば2回も同じ所へ行かずに1度はこの街路樹の通りではなくもう少し東よりのバスなどが通る大きな通りを歩けば国立図書館や国会議事堂があり、最も有名なシンタグマ広場に出られたのにと後悔しています。 その結果国立図書館や国会議事堂(無名戦士の墓)、シンタグマ広場などはバスで通過しただけとなりました。
又ホテルへの帰り道は来た道を通らず中央市場のオモニア付近でバスの通るような広い道ではなく人通りの少ない道に入ってしまい気がついた時には周囲が大勢の黒人で一杯になっていました。 朝の10時頃でしたが白人の姿は全くなく左の道には何かの集会の後のように黒人ばかりが何十人と集まっていてそこを突き進む勇気はなかったので今思えばさっさと踵を翻して来た道を引き返せば良かったのですがその勇気もなく比較的空いていた右の道を行くことにしました。 その道はフリーマーケットのように地面に座って物を売っている黒人と買い物をする黒人で賑わっていましたが左の道よりは人にぶっつからずに歩くことが出来たので脇も見ずに一目散に歩いてその場を抜け出しました。 何十秒か分りませんがそこを出て人気のない道に出た時にはほっとしたものです。 何十分も歩いたように感じました。 残念ながら彼らにカメラを向けるほどの度胸もなかったので写真はありません。 又人気(ひとけ)のない道もかえって気味が悪く慌ててバスが通る大きな道を探すので精一杯でした。 日本に帰ってきてインターネットで調べたところアテネの街は黒人と物乞いが多く、「オモニア周辺」では黒人に道を聞いたら、あやしい小道へ連れていかれてお金を巻き上げられたとかスリにあったとか言う話があり、ガイドブックにもオモニア広場周辺は麻薬の売買などで麻薬中毒者やいかがわしい感じの人を見かけることも多く治安があまり良くないという記載があるそうで普段からアテネ在住者は近寄らないエリアであり、「オモニアに中国人しか行かないような美味しくて安い中華料理のお店があると話を聞いてもオモニアだと行くのをためらってしまう。」それくらい敬遠されてるエリアだそうで今から思えばよく無事に戻れたと思います。 今度又アテネへ行く事があれば小さな道は避けてバスが通るような大きな道を歩くことにしようと思います。(まあ二度と行くことはないでしょうが。)
又スーパーではリュックを担いで中へ入ろうとすると警備員に止められ、リュックを預けてからでないと中へ入れて貰えませんでした。 恐らくアテネでは万引きが多いのでしょう。
それから日本と異なり歩行者用の信号には点滅がありません。 青だと思い安心して渡っているといつのまにか赤に変わっていて慌てて道路を走ることになります。 慣れるまで2~3度車に驚かされたことがあります。 皆さん気をつけて。
ホテル「オスカー」の前には大きなスーパーマーケットがあり、ギリシャ最後の宿泊地と言うことで土産物の多くはここですますことにしました。 ギリシャの特産物と言えばイタリアやクロアチアなどと同様にオリーブオイルやワインです(エーゲ海でとれる海綿スポンジも有名)が私はこのスーパーで缶の筒に入ったオリーブオイルと石鹸を買いました。 石鹸もオリーブと思っていますがギリシャ文字で書かれていて判読出来ないので本当か不明です。 オイルの方はOLIVEとなっていたので間違いないでしょう。
その他果物の絵が書かれた金柑飴のようなお菓子類(これも日本に帰ってから調べたところゼリーのような菓子でルクミと言う菓子でしょうか。)や味の素k.kがギリシャ人の味覚に合わせて生産しているのでしょうかクノール・ブランドのスープ類(確かネパールでもネパール産のクノール・スープを買った記憶があります。)も買いました。
あとホテルで食べようと思い自分用にアイスクリームとカップ麺のクラッカー入りヌードルというのを買いました。
カップ麺はアジアではよくコンビニで売っていますが今まで私が行ったヨーロッパの国では余り見かけることがなかったのですが偶然にもこのヌードルだけが棚にあるのを見つけました。 カップの形状はどんぶり型、スープの味付けはギリシャ風で具はクラッカーでした。 カップ麺はそれなりに美味しく食べましたが、もう一つのアイスクリームと思って買ったものは凄く甘い蜂蜜のような半液状半固形の砂糖で、一口食べて間違いに気付きました。 容器がアイスクリームの容器に似ていたので疑いもせず買ったのですが、日本に帰ってから調べたところ恐らくこれは「マスティハ」と言うちょっと固めの水あめのような感じのギリシャの甘ーいおやつではないでしょうか。 スプーンですくって冷たい水に入れながら少しずつ少しずつなめて最後には甘くなった水も飲む。 コーヒータイムにのんびりとおしゃべりをしながら少しずつ味を楽しむギリシャならではのおやつらしいです。 そう言うこととは露知らず、これはとても食べられないと思った私はそれを捨てるのも勿体無いと思い、綺麗に蓋を戻して枕元に枕チップと共に置いてきました。 分っていれば自分用の土産に持って帰ったのですがあの一口の甘さの衝撃で動揺してしまったようで残念。
ちなみに「マスティハ」は世界でもギリシャのヒオス島にのみ自生する木の幹から産するハーブで水晶様の透明なエキスです。 ギリシャでは古代から5000年以上健康維持食品として広く愛用されているそうです。
アテネの街を散策するとクルーリーというゴマつきパンを売る屋台をよく見かけます。 モチモチした香ばしいパンでギリシャの人はおやつ代わりに歩きながら食べるそうです。
アクロポリスの丘は遠く新石器時代から人が住んでいたという岩山ですがポリス(都市国家)の時代に神域となり、紀元前5世紀の古代ギリシア時代になるとその上にアテナ女神を祭るための壮麗なドーリス式のパルテノン神殿がフィディアスとイクティノスにより建設されました。 現在残る神殿はペルシャ戦争勝利を記念して建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿で処女(パルテノスとは古代ギリシア語で若い娘を意)神殿と訳されています。 ギリシャ古典文化の最高傑作のひとつとして世界遺産(文化遺産)に登録されています。
アクロポリスの入り口を入ると最初にヘロド・アティクス音楽堂(オデオン)に来ます。 2世紀にアテネの富裕な執政官ヘロド・アティクスが亡き妻を偲び建造したものでもともとはエウメネスの柱廊でディオニソス(酒と演劇の神)の劇場とつながっていました。 ディオニソス劇場はアクロポリスのふもとにあり紀元前4世紀にディオニソスのために建造された神域の一部です。 音楽堂は1961年に修復され、夏にはアテネ・フェスティバルとして、演劇などに利用されています。
音楽堂を更に奥に進むとブーレの門に来ます。 この門はこの先の前門(プロピレア)を防御するためにローマ人がAD280年頃に建設したものですが1852年にこの門を発見したフランスの考古学者ブーレを記念してこの名が付けられました。 このブーレの門から坂道を上がり大理石の階段を上がると聖域への入り口でムネシクレスの作とされている前門(プロピレア)に来ます。 プロピレアは紀元前437年にムネシクレスにより建築が始まったがペロポネソス戦争により中段し、門の一部は未完成のままです。 東西のファサードにはドーリス式の円柱が六本ずつ並び、中央通路の両脇には細身のイオニア式円柱が並んでいます。 屋根にはかって全面に大理石の板が葺かれていたそうですが今は復元の終わった一部を残し吹き曝しになっていました。 プロピレアを出ると右前方に巨大な神殿パルテノンが姿を現します。 左前方にはエレクテイオン神殿が見えます。
エレクテイオン神殿の名前の由来はアテナ女神の養子でアテネの王であった英雄エレクテウスがここに祀られていたことによります。 イオニア式の神殿でフリーズ以外は白色のペンテリコン大理石で造られています。 プロピレアからは最初に女性の形につくられた六本の柱(これらの群像はカリュアティデスと呼ばれています)が見えてきます。 ただしこれらのリュアティデスはレプリカ(コピー)でオリジナルはアクロポリス博物館で展示されています(1体はエルギン伯爵がイギリスに持ち帰り今は大英博物館で展示されています)。 建物の東側(プロピレアから見て奥)がファサードになっていて六本のイオニア式円柱が立っています。
パルテノン神殿はアテナイ黄金時代の政治家ペリクレスが15年間(前447年~前432年)かけてフェイディアスを監督にイクティノスとカリクラテスに設計させて建築したものです。ドーリア式の神殿では円柱は通常13本ですがパルテノン神殿には二つのケラ(内陣)があるため例外的に17本の円柱で側面を支えています。 前と後の柱は各々8本です。 外側の円柱の高さは10.43m.でオリンピアにあるゼウス神殿と同じだそうです。 内部にはイオニア式の四本の柱が立っています。
その他アクロポリスの丘から見えるものとしては丘の麓に酒と演劇の神であるディオニソスの劇場やヘファイストスとアテナの神殿(テッシオン)があります。 又遥か遠くにはフィロパポスの丘(頂上にフィロパポスという人物が建設したモニュメントあるためこう呼ばれている)や市内で最も高いリカベトスの丘(ケーブルカーで頂上まで上がれて、頂上には、アギオス・ゲオルギオス教会があります。)を望むことが出来ます。
アテネ市内にはアカデミーや国会議事堂、国立図書館、ゼウス神殿などなど見所は沢山あるようですがバスで通過しただけなので説明は割愛します。 ただアクロポリス博物館の近くの公園では男女の子供たちがペアーになってアコーデオンを弾いてるのを見かけました(アコーデオンを弾くのは男の子のようです。 女の子は何故いるのかは分りません)。 前にはお金を入れてもらうための箱がおいてあります。 ギリシャ人は大人でも余り働かないと言うことですから彼らは移民の子供たちでしょうか。 アフリカやアジアの貧しい国ならいざ知らず余り働かないギリシャでと思うとやるせない気持ちになります。
第1部の構成は
アテネ国際空港 ⇒ ホテル「オスカー」&界隈 ⇒ アテネ市街 ⇒ アクロポリスの丘 ⇒ (アテネ⇔アラホバ) で79枚の写真によるスライドショーです。
スライドショーは最上段右の「戻る」をクリック願います。
HPアドレスは
http://udonji.com/です。
注)スライドショーは写真を呼び込むのに時間を要します。 ホームページやスライド・メニューの立ち上がりにはブロードバンドで数秒から十数秒掛かります。