イギリス 演劇関連エントリー

イギリスの演劇教育

... イギリスの子供たちは演劇教育を通して発想力の大切さを学ぶ。 もうひとつ興味深かったのは、演劇のソフトとハードに対する、イギリス人と日本人の意識の違いのお話。 イギリス人はまずソフト面、すなわちすばらしい劇作があり、それを演じる役者を育て ...

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イギリスの「演劇漬けの日本語教師アシスタント」

... Akkoさんはもともと演劇が大好き。「イギリスといえば演劇」と豪語しながら、今回 イギリスの日本語教師 アシスタントにご参加されました。 学校との交流もまずは大好きな演劇から関わることで、突破口を開いたようです。 「教師」という職を ...

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早稲田演劇博物館

... この早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(長い・)です。いいですね、このハーフティンバーの典型のような建物。イギリスのエリザベス朝時代(16世紀)の様式で「フォーチュン座」を模しているそうです。 中がまた素敵です。 ...

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ドイツは演劇の国

... 世界を見てみると、演劇の中心は大都市に限られている。たとえばフランスではパリ。イギリスではロンドン。アメリカではニューヨークで。それに比べてドイツ全国で演劇を愉しめている。 ベルリンには5の大劇場。ミュンヘンに2つ、ハンブルグには3つ。 ...

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【演劇教育】「Workshop on Workshop 2008 ワークショップの ...

... さらに音大、美大はありますが、演劇大学はない。職がないから学科がない、学科がないから職もないというのが現状。例えばカナダにはドラマ・ティーチャーという専門職の先生が各ハイスクールに配置されています。イギリスでは劇場が学校にアーティストを ...

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イギリス 演劇に関する質問

イギリス 演劇 1737年のイギリスの演劇検閲法施行について

イギリス人は元来、自由に関して自負している人種なのに、1737年の演劇検閲法については、難なく制定されています。どうしてそんなに簡単に通ってしまったのでしょうか?

  1737年のイギリスの演劇検閲法施行についての詳細


イギリス 演劇 オススメ芝居・演劇教えてください

イギリスに留学中なのですが、その間に本場の演劇をいっぱい見たいと思っています。ですが沢山ありすぎて何から見ていいのかわかりません…やはりシェイクスピア見るべきなのでしょうか…英語が難しそうですが… 初心者にオススメの演目

  オススメ芝居・演劇教えてくださいの詳細


イギリス 演劇 世界三大演劇祭?

イギリスのエジンバラ、フランスのアヴィニョン、オーストリアのアデレード、が世界三大演劇祭と聞きましたが、これらの演劇祭の特徴や簡単な歴史(1回目がいつで、主な日本人の出演者は誰、など)といったものを、教えていただければと思います。

  世界三大演劇祭?の詳細


イギリス 演劇 英語圏への一人旅

は30万程度・学生で時間はあるので、期間は短くても長くても可・時期は1月か2月・建造物、自然、演劇、どれも興味があります・ブランドなどにはそれほど興味はないです・一人旅しやすい所・直行便のない

  英語圏への一人旅の詳細


イギリス 演劇 翻訳について。

イギリスの演劇を翻訳し、日本で上演または演劇化する場合、何が変わり何が問題となるんですか?シェイクスピアに関する具体例があれば、それに沿って教えてください。

  翻訳について。の詳細


イギリス 演劇旅行記

ギリシャ ~神話とエーゲ海の宝石~ 第1部アテネ(by 宇鈍児さん)

イギリス 演劇
 2010年5月19日か28日までギリシャへ行って来ました。 ギリシャ滞在は正味8日間です。 往復ともドーハ経由のカタール航空エコノミーのパックツアーです。 毎月送付されてくる小冊子のパンフレットでは最初の1日は夜の10時頃の集合で2日目の0時過ぎの出発になっていて、これで海外保険を1日目から取るのかと疑問に思っていたところ出発1週間前に送られて来た「日程表」では1日目の23時55分出発に変更されていました。 飛行機事故では離着陸の事故が大半だからこれでは1日目から保険に入るのも仕方がないか。 (但し、飛行機の出発は大体が遅れて翌日に入り込む事が多いのでこの時刻での1日目の保険料には矢張り疑問は残るけど。 客の意思で2日目から保険を掛けることが何故出来ないのか。) 又このツアーに参加することを決定づけた毎月送付されてくる小冊子のパンフレットにはアテネで「ゼウス神殿」など他2箇所を案内します。となっているのに実際はバスでその前を通り過ぎる車窓からの観光になっていた。 このことは出発1週間前に送られて来た「日程表」で知ったのですが実際は申込書が送付されて来た時に同封されていた「ヨーロッパ編」と言う冊子に同様な案内があり、頁の最後の行に小さく「*観光内容につきましては、別冊「ご旅行代金表」の観光のご案内のページをご覧ください。」となっていて、別冊の旅行代金表を見ると確かにギリシャの「アテネ市内観光」の覧にゼウス神殿など3箇所は「バスの中より観光します。」となっている。 しかしどう考えても「~へ案内します。」と言う意味とバスで前を通過するだけでの「バスの中より観光します。」では全く意味が違う。  そもそも見える側の窓とは反対側に座っている者に対してはどう弁明するのか。 もしバスで前を通過するだけが「~へ案内します。」と言うならバスや列車で通過する街や駅は全て観光先にしてもよいことになる。 客がどの旅行社のどのツアーに参加するかを決める最初のパンフレットである毎月の小冊子に仰々しく「~へ案内します。」としておきながら、決断した後に送られて来た冊子(それも日程表にではなくわざわざ別冊子の料金表ーーー料金は既に分っているので見る必要はない。)で記載して違法性を逃れようとしている。 以前問題となった携帯電話の新聞広告と同様に客の勘違いを引き起こさせて誘導するやり方そのものである。  それはそうと愚痴はこれ位にします。

 ギリシアという名称は、ラテン語名のGraecia(グラエキア)がポルトガル語のGrecia(グレスィア)となりこれが宣教師によって日本にもたらさた後いつのまにかギリシャと変わってしまったそうです。 英語表記は Hellenic Republic で、通称Greeceでギリシャ(共和国)と言うのは日本語です。

 面積は日本の約3分の1(このうち20%がイオニア海やエーゲ海に浮かぶ島々の面積、最大の島はエーゲ海南方に浮かぶクレタ島)。 人口は約1千百万人超(98%がギリシャ人)でそのうち約1/3が首都アテネに住んでいます。 

 ギリシャのほぼ全土が地中海性気候に区分され、温暖で湿潤な冬季と乾燥し高温の夏季にはっきり分かれます。
服装は、春秋は普通の合わせ着を(5月下旬だったので半袖を主に、寒いと感じた時には上から長袖をと思って用意をしましたが殆ど半袖だけで十分でした)。 夏は薄着でかまいませんが、夜間は日中との温度差があるので、薄手のカーディガンかセーターが必要だそうです。

 時差は日本より7時間遅れ。ただし3月最終日曜日から10月最終日曜日前の土曜日まではサマータイムとなり6時間遅れです。 と言うことで時計とカメラとGPSを日本からドーハへ向かう飛行機の中で(日本時間ー6時間)に設定しました。 しかしそれにしてもギリシャでは夜の8時過ぎでもまだまだ日が明るく9時頃になってやっと暗くなります。 夜明けは朝の6時過ぎ位でしょうか。 と言うことでサマータイムがなければ5月下旬で朝5時過ぎから夜8時半頃まで昼間ということになります。

 アテネ国際空港(正式:エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港)でのギリシャへの出入国の際には出入国カードの提出は不要です。 シェンゲン協定国圏外(日本など)から到着の場合は、パスポートおよび手荷物の検査が行われます。

 出発日の2010年5月19日と言うとギリシャの財政危機に端を発した「ユーロ売り」が進み関空で円をユーロに交換した時のレートは116.09円/EURO(仲値は111~112円でしょうか)でした。 しかし直近の最安値は6月7日の108円台(仲値)で今後財政危機がイタリアやスペイン、ポルトガルに及べばもっと下がるかもしれません。 円が高くなれば海外旅行をする者にとってはこれほど有り難いことはありません。 しかし出発前日までギリシャ政府が議会で可決した財政再建策の公務員の給料引き下げや年金支給開始年齢の繰り上げなどに反対する公務員や市民が抗議のデモやストを行なっていたためどうなることかと心配していましたが、2日目のアテネの観光を後半の27日(9日目)に振り替えて実施出来たのでホットしました。 ギリシャの三大収入源は移民からの送金と海運業と観光業だそうです。 その観光業でデモやストにより観光客に迷惑を掛けてこの国は果たして財政再建可能なんでしょうか。 もっともこの辺りの地中海に面したヨーロッパの国では人々は余り働かない(ある意味人生を楽しんでいる)そうで特にギリシャは普段から観光客に対するサービス精神は全くないと言うことだそうです。 人々の客に対する動きは極めて鈍く唯一例外はアテネの国立博物館の警備でした。 展示物の周辺には大勢の男女の警備員が常時観光客が写真撮影をしないかを見張っていました。 今まで行った他の国には見られない程厳重で、本当に皆さんよく仕事をしておられました。

 又海運業では古代から地中海一帯で貿易を展開してきた歴史があるせいか、オナシス家、ニアルコス家、ラティス家、マルチノス家、などなど海運王が多く、船舶保有量は世界第4位の2,870万総トンに及んでいます。 ケネディ元米大統領(1963年暗殺)の夫人ジャクリーンさんが海運王のオナシスさんと再婚したのも当時話題になったものです。

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 第1部はギリシャ共和国の首都アテネです。 自由時間が5月26日(8日目)の夕方と27日(9日目)の午前中にあったので2回とも1人でホテル「オスカー」(アクロポリスの丘の北北西ラリッサ駅の近くにあります。)からオモニア広場、中央市場を経てアティナス通り(モナスティラキ駅北側の通り)を紫の花が咲く街路樹(ジャカランダの木でノウゼンカズラ科に属する中南米原産です。)の中を、写真を撮りながら徒歩で片道大体40~50分要したでしょうか最後にモナスティラキ広場に到達し、そこからアクロポリスの丘を見上げていました。  今思えば2回も同じ所へ行かずに1度はこの街路樹の通りではなくもう少し東よりのバスなどが通る大きな通りを歩けば国立図書館や国会議事堂があり、最も有名なシンタグマ広場に出られたのにと後悔しています。 その結果国立図書館や国会議事堂(無名戦士の墓)、シンタグマ広場などはバスで通過しただけとなりました。

 又ホテルへの帰り道は来た道を通らず中央市場のオモニア付近でバスの通るような広い道ではなく人通りの少ない道に入ってしまい気がついた時には周囲が大勢の黒人で一杯になっていました。 朝の10時頃でしたが白人の姿は全くなく左の道には何かの集会の後のように黒人ばかりが何十人と集まっていてそこを突き進む勇気はなかったので今思えばさっさと踵を翻して来た道を引き返せば良かったのですがその勇気もなく比較的空いていた右の道を行くことにしました。 その道はフリーマーケットのように地面に座って物を売っている黒人と買い物をする黒人で賑わっていましたが左の道よりは人にぶっつからずに歩くことが出来たので脇も見ずに一目散に歩いてその場を抜け出しました。 何十秒か分りませんがそこを出て人気のない道に出た時にはほっとしたものです。 何十分も歩いたように感じました。 残念ながら彼らにカメラを向けるほどの度胸もなかったので写真はありません。 又人気(ひとけ)のない道もかえって気味が悪く慌ててバスが通る大きな道を探すので精一杯でした。 日本に帰ってきてインターネットで調べたところアテネの街は黒人と物乞いが多く、「オモニア周辺」では黒人に道を聞いたら、あやしい小道へ連れていかれてお金を巻き上げられたとかスリにあったとか言う話があり、ガイドブックにもオモニア広場周辺は麻薬の売買などで麻薬中毒者やいかがわしい感じの人を見かけることも多く治安があまり良くないという記載があるそうで普段からアテネ在住者は近寄らないエリアであり、「オモニアに中国人しか行かないような美味しくて安い中華料理のお店があると話を聞いてもオモニアだと行くのをためらってしまう。」それくらい敬遠されてるエリアだそうで今から思えばよく無事に戻れたと思います。 今度又アテネへ行く事があれば小さな道は避けてバスが通るような大きな道を歩くことにしようと思います。(まあ二度と行くことはないでしょうが。)

 又スーパーではリュックを担いで中へ入ろうとすると警備員に止められ、リュックを預けてからでないと中へ入れて貰えませんでした。 恐らくアテネでは万引きが多いのでしょう。


 それから日本と異なり歩行者用の信号には点滅がありません。 青だと思い安心して渡っているといつのまにか赤に変わっていて慌てて道路を走ることになります。 慣れるまで2~3度車に驚かされたことがあります。 皆さん気をつけて。

 ホテル「オスカー」の前には大きなスーパーマーケットがあり、ギリシャ最後の宿泊地と言うことで土産物の多くはここですますことにしました。 ギリシャの特産物と言えばイタリアやクロアチアなどと同様にオリーブオイルやワインです(エーゲ海でとれる海綿スポンジも有名)が私はこのスーパーで缶の筒に入ったオリーブオイルと石鹸を買いました。 石鹸もオリーブと思っていますがギリシャ文字で書かれていて判読出来ないので本当か不明です。 オイルの方はOLIVEとなっていたので間違いないでしょう。
 その他果物の絵が書かれた金柑飴のようなお菓子類(これも日本に帰ってから調べたところゼリーのような菓子でルクミと言う菓子でしょうか。)や味の素k.kがギリシャ人の味覚に合わせて生産しているのでしょうかクノール・ブランドのスープ類(確かネパールでもネパール産のクノール・スープを買った記憶があります。)も買いました。

 あとホテルで食べようと思い自分用にアイスクリームとカップ麺のクラッカー入りヌードルというのを買いました。
カップ麺はアジアではよくコンビニで売っていますが今まで私が行ったヨーロッパの国では余り見かけることがなかったのですが偶然にもこのヌードルだけが棚にあるのを見つけました。 カップの形状はどんぶり型、スープの味付けはギリシャ風で具はクラッカーでした。 カップ麺はそれなりに美味しく食べましたが、もう一つのアイスクリームと思って買ったものは凄く甘い蜂蜜のような半液状半固形の砂糖で、一口食べて間違いに気付きました。 容器がアイスクリームの容器に似ていたので疑いもせず買ったのですが、日本に帰ってから調べたところ恐らくこれは「マスティハ」と言うちょっと固めの水あめのような感じのギリシャの甘ーいおやつではないでしょうか。 スプーンですくって冷たい水に入れながら少しずつ少しずつなめて最後には甘くなった水も飲む。 コーヒータイムにのんびりとおしゃべりをしながら少しずつ味を楽しむギリシャならではのおやつらしいです。 そう言うこととは露知らず、これはとても食べられないと思った私はそれを捨てるのも勿体無いと思い、綺麗に蓋を戻して枕元に枕チップと共に置いてきました。 分っていれば自分用の土産に持って帰ったのですがあの一口の甘さの衝撃で動揺してしまったようで残念。
 ちなみに「マスティハ」は世界でもギリシャのヒオス島にのみ自生する木の幹から産するハーブで水晶様の透明なエキスです。 ギリシャでは古代から5000年以上健康維持食品として広く愛用されているそうです。

アテネの街を散策するとクルーリーというゴマつきパンを売る屋台をよく見かけます。 モチモチした香ばしいパンでギリシャの人はおやつ代わりに歩きながら食べるそうです。

 アクロポリスの丘は遠く新石器時代から人が住んでいたという岩山ですがポリス(都市国家)の時代に神域となり、紀元前5世紀の古代ギリシア時代になるとその上にアテナ女神を祭るための壮麗なドーリス式のパルテノン神殿がフィディアスとイクティノスにより建設されました。 現在残る神殿はペルシャ戦争勝利を記念して建設されたもので、長さ68.7m、幅30.6mの周柱式神殿で処女(パルテノスとは古代ギリシア語で若い娘を意)神殿と訳されています。 ギリシャ古典文化の最高傑作のひとつとして世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 アクロポリスの入り口を入ると最初にヘロド・アティクス音楽堂(オデオン)に来ます。 2世紀にアテネの富裕な執政官ヘロド・アティクスが亡き妻を偲び建造したものでもともとはエウメネスの柱廊でディオニソス(酒と演劇の神)の劇場とつながっていました。 ディオニソス劇場はアクロポリスのふもとにあり紀元前4世紀にディオニソスのために建造された神域の一部です。 音楽堂は1961年に修復され、夏にはアテネ・フェスティバルとして、演劇などに利用されています。

 音楽堂を更に奥に進むとブーレの門に来ます。 この門はこの先の前門(プロピレア)を防御するためにローマ人がAD280年頃に建設したものですが1852年にこの門を発見したフランスの考古学者ブーレを記念してこの名が付けられました。 このブーレの門から坂道を上がり大理石の階段を上がると聖域への入り口でムネシクレスの作とされている前門(プロピレア)に来ます。 プロピレアは紀元前437年にムネシクレスにより建築が始まったがペロポネソス戦争により中段し、門の一部は未完成のままです。 東西のファサードにはドーリス式の円柱が六本ずつ並び、中央通路の両脇には細身のイオニア式円柱が並んでいます。 屋根にはかって全面に大理石の板が葺かれていたそうですが今は復元の終わった一部を残し吹き曝しになっていました。 プロピレアを出ると右前方に巨大な神殿パルテノンが姿を現します。 左前方にはエレクテイオン神殿が見えます。

 エレクテイオン神殿の名前の由来はアテナ女神の養子でアテネの王であった英雄エレクテウスがここに祀られていたことによります。 イオニア式の神殿でフリーズ以外は白色のペンテリコン大理石で造られています。 プロピレアからは最初に女性の形につくられた六本の柱(これらの群像はカリュアティデスと呼ばれています)が見えてきます。 ただしこれらのリュアティデスはレプリカ(コピー)でオリジナルはアクロポリス博物館で展示されています(1体はエルギン伯爵がイギリスに持ち帰り今は大英博物館で展示されています)。 建物の東側(プロピレアから見て奥)がファサードになっていて六本のイオニア式円柱が立っています。

 パルテノン神殿はアテナイ黄金時代の政治家ペリクレスが15年間(前447年~前432年)かけてフェイディアスを監督にイクティノスとカリクラテスに設計させて建築したものです。ドーリア式の神殿では円柱は通常13本ですがパルテノン神殿には二つのケラ(内陣)があるため例外的に17本の円柱で側面を支えています。 前と後の柱は各々8本です。 外側の円柱の高さは10.43m.でオリンピアにあるゼウス神殿と同じだそうです。 内部にはイオニア式の四本の柱が立っています。


 その他アクロポリスの丘から見えるものとしては丘の麓に酒と演劇の神であるディオニソスの劇場やヘファイストスとアテナの神殿(テッシオン)があります。 又遥か遠くにはフィロパポスの丘(頂上にフィロパポスという人物が建設したモニュメントあるためこう呼ばれている)や市内で最も高いリカベトスの丘(ケーブルカーで頂上まで上がれて、頂上には、アギオス・ゲオルギオス教会があります。)を望むことが出来ます。
 

アテネ市内にはアカデミーや国会議事堂、国立図書館、ゼウス神殿などなど見所は沢山あるようですがバスで通過しただけなので説明は割愛します。 ただアクロポリス博物館の近くの公園では男女の子供たちがペアーになってアコーデオンを弾いてるのを見かけました(アコーデオンを弾くのは男の子のようです。 女の子は何故いるのかは分りません)。 前にはお金を入れてもらうための箱がおいてあります。 ギリシャ人は大人でも余り働かないと言うことですから彼らは移民の子供たちでしょうか。 アフリカやアジアの貧しい国ならいざ知らず余り働かないギリシャでと思うとやるせない気持ちになります。

第1部の構成は

  アテネ国際空港 ⇒ ホテル「オスカー」&界隈 ⇒ アテネ市街 ⇒ アクロポリスの丘 ⇒ (アテネ⇔アラホバ) で79枚の写真によるスライドショーです。


スライドショーは最上段右の「戻る」をクリック願います。

HPアドレスは

   
  • http://udonji.com/


  • です。

    注)スライドショーは写真を呼び込むのに時間を要します。 ホームページやスライド・メニューの立ち上がりにはブロードバンドで数秒から十数秒掛かります。

    【旅行時期】2010/05/26~2010/05/28
    【エリア】アテネ
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】宇鈍児

    ミナック・シアター(by マイクさん)

    イギリス 演劇
    詳しくは、
  • http://mike.main.jp/travel/

  • をご覧下さい。

    コーンウォール

    【場所】コーンウォール(イギリス南西端)

    【見所】ミナック・シアター
       



       ロウィーナ・ケイド(Rowena Cade)女史が生涯を尽くして作った、屋外シアター。




       テレビのCMで紹介されて知っていたので、ぜひ見て見たいと思っていた。




       1931年から彼女が亡くなる1983年まで52年間こつこつと作られた。




       毎年5月から9月まで毎日、地元の演劇グループ等による芝居の上演がある。


    【旅行時期】1997/02/~1998/07/
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】
    【投稿者】マイク

    欧州の旅・思い出のアルバム イギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォン(by さすらいおじさんさん)

    イギリス 演劇
    ウィリアム・シェイクスピア(1564頃-1616年頃)が生まれ育ったストラトフォード・アポン・エイヴォンではユースホステルが駅から遠く、駅から徒歩10分のサラマンダーゲストハウス(30ポンド・7200円)に宿泊した。宿泊客同士を朝食で紹介する家族的なゲストハウスだった。
    シェークスピアの生家(入場料;7ポンド・1680円)は、シェークスピアの父が町長に選ばれたこともあるいう街の名家で裕福な皮手袋商人だったことなどを紹介していた。シェークスピア家は後に没落しているが、幼少の頃は兄弟が次々と早世する中で大切に育てられたようでシェークスピアが使ったベッド、ゆりかごなども展示されていた。エイヴォン川を中心とするストラトフォード・アポン・エイヴォンは美しく静かな環境で、この生活環境が歴史的な劇作家の創造力を育てたのかもしれないなどと思った。シェークスピアの四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』、『ヴェニスの商人』、『夏の夜の夢』、『ジュリアス・シーザー』、『ヘンリー五世』などの演劇を上演する劇場が3つもあり、「シェークスピア一色の街」という印象だった。

    関連旅行記-欧州・バックパッカーの旅【5】 シェイクスピアを生んだ街、イギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォン-
  • http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10108998/

  • (写真はシェークスピアの生家前の光景)

    【旅行時期】2006/09/03~2006/09/04
    【エリア】ストラトフォードアポンエイボン
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    早稲田大学創立125周年ー演劇博物館編(by 義臣さん)

    イギリス 演劇
    早稲田大学坪内博士記念
    「演劇博物館」へ十数年ぶりに伺いました。
    館内は貴重な資料が沢山、
    但し展示物は撮影禁止ですので

    昭和3年10月イギリスの
    「フォーンチュン座」を模して設計の建物

    建物前の広場は一般席 
    建物の両翼は桟敷席のイメージ
    建物中央は舞台

    建物 建物前広場 含めての劇場です。
    その上 大事な劇場資料でもあります。

    現役で活用されています。

    ホームページ
  • http://www.waseda.jp/enpaku/


  • 【旅行時期】2007/10/21~2007/10/21
    【エリア】早稲田・護国寺
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】義臣

    中国でのテレビ出演(1)(by 南京ドンブリさん)

    イギリス 演劇
    中国での留学生の冬休みというのはとても長いんです。

    まず現地中国の習慣は旧暦にしたがって「春節」を過ごします。
    韓国も同様の習慣なので韓国人留学生は万々歳です。

    ただ日本人留学生はやはり正月を日本で過ごしたい…。
    更に欧米人になるとクリスマスから休みたい…となります。

    そこで、多くの大学の留学生部では12月後半から春節のある2月までザ~ッと休みになるのが普通です。

    自国へ帰らなくても多くの留学生は、この長期休暇中に中国国内を旅行に出かけます。
    そのため大学に残る留学生というのがほとんどいなくなるんですね。

    ところが南ドンは留学生(当時、南京大学)と言ってもマスターコース生だったものですから、普通の中国人院生を全く同じ暦で大学に通う必要があったわけです(涙)。
    1月1日の元日だけを除いて、大学は毎日あります。
    春節前のこの時期は期末テストがあるのです。

    さて、春節前に南京大学留学生部から電話がかかってきました。
    「南京大学の代表としてオーディションに参加してくれ!」

    年末年始のテレビ番組として中国では日本の『紅白歌合戦』にあたる『春節晩会』があります。
    そして『かくし芸大会』にあたるのが『外国人中華才芸大賽』となるでしょうか…。
    独自の“スター”が少ない中国大陸では外国人達が中国文化芸能でワザを競わされるのです。

    そして江蘇省地区の予選会が南京師範大学で行われました。
    南京師範大学からの参加者が多かったのは当然のことです。
    ここで「南京大学から一人の参加者もいない」とあっては南京大学のメンツにかかわります。

    南京大学は参加する留学生の確保にしくじったのでしょう。
    この時期、ただでさえ留学生は少ないのです。

    「一曲、何か中国語の歌を唄ってくれればいいんだ」
    と言われて南ドンはこの予選会に南京大学代表として参加をしました。
    南ドンが唄ったのは劉徳華(アンディ・ラウ)の『愛你一万年』でした。
    けっして歌がうまいわけではありませんが、日本の大学生時代演劇をやっていた南ドンは多少、声には自信があります。
    北京テレビ局の審査員は南ドンに「何かもう一曲唄うこと」を要求しました。
    そこで南ドンは林憶蓮(サンデーラム)の『至少還有你』を唄いました。
    当時、大ヒットしていた女性歌手の歌でしたが、南ドンは少々音をはずし「終わったな」と思いました。

    ところが!
    3週間後(忘れた頃)に江蘇テレビ局から連絡が入ったのです。
    「歌部門ではないが、演芸部門に参加をしてほしい」と…。

    当時、南京芸術学院という名門大学にダニエルというイギリス人留学生がいました。
    地元のテレビにもよく出演していた売れっ子外国人タレントでした。

    彼は予選会を見に来ていたのです。
    そして自身が『外国人中華才芸大賽』で賞を取るために、ミュージカル寸劇の相手役を探していたのです。
    白色、黒色、黄色の3人種で一つの作品をつくろうということで、ダニエルはもちろん白人代表、そして黒人代表には南京師範大学のマノリちゃん(スリランカ)が選ばれ、「黄色人種代表を誰にするか」で悩んでいたらしいのです。

    ダニエルは予選会での南ドンの歌ではなく声に印象が残っていたらしく、江蘇テレビ局へ推薦した結果、南ドンが参加することとなったのです。

    選ばれてからは毎日、特訓です。
    とにかく時間がないのです。
    中国語の台詞はもちろん民謡までおぼえなければいけません。

    本大会は広東省の珠海という海沿いの大都市で行われました。
    中国全土から集まった外国人参加者が、ここでプロの指導者からレッスンを受けました。
    1週間の集中レッスンです。
    ダニエル、マノリ、南ドン組は脚本の変更を余儀なくされました。
    救いだったのはミュージカル寸劇の歌の部分が全て録音になったことです。
    当日の舞台上では南ドンたちは動作と同時に口パクだけすればよかったわけです。
    珠海テレビ局のスタジオでミキサー調整の結果、南ドン達の歌声はプロ顔負けのものになりました。

    会場は珠海円明園。
    列強に滅ぼされた北京円明園を復元したテーマパークの中でした。
    そこの野外劇場に2000人を超える観客が押し寄せました。

    リハーサルでは一度もうまくいきませんでしたが、何故か自信がありました。
    何よりもこの場の雰囲気を楽しみたいと思いました。
    もともと演劇を志していた南ドンです。
    日本では得ることの出来なかった大舞台が、中国生活4年目にしてやってきたのです!

    結果は「総合芸術部門銅賞」でした。
    “銅メダル”ではありましたが、ミュージカル寸劇という一風変わった出し物がウケて、『外国人中華才芸大賽』放送後には思わぬ大ブレークがありました。

    それについては(2)にて…。

    写真は本番の舞台の様子です。

    【旅行時期】2002/01/~2002/02/
    【エリア】広東省
    【テーマ】留学・ホームステイ
    【投稿者】南京ドンブリ

    イギリス 演劇関連エントリー

    木彫りのアップ

    ... イギリス製。 母が買ってくれたのはステンドガラス付なので高かったです。 フランス製は象嵌などあり繊細でお洒落です。 ここりんさんhttp://blogs.yahoo.co.jp/kokorinbox が、前に夫の葡萄の柄のアップを御所望してくださったので,すいませんねえ。 ...

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    ヘタリアアニメ化

    ... 「セーラームーン」(1994年~1999年/演出) ※演劇集団円 「ファウスト」(2006年/演出)、 「オセロー ... 安元洋貴 日本 : 高橋広樹 アメリカ : 小西克幸 イギリス : 杉山紀彰 フランス : 小野坂昌也 ロシア : 高戸 ...

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    ハリソン・バートウィッスル『Verses for Ensembles』(1969) ...

    ... いまやイギリスの作曲界の “重鎮”とやら称されているらしいハリソン・バートウィッスル Sir Harrison Paul Birtwistle (1934-)のアルバム。 ... つまりは端的に緊張感漂わせた、ある種演劇的印象のする作風だ。A面の「Verses for Ensembles( for five ...

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    ジュリア

    ... 1976(77)作出、イギリス、独特の色合いで人気があるが生育が 弱いところがあるらしい。名花ブルームーンを親に持つ。 授乳中で毛もすり切れこの後は痛々しい青血になっても気にしないで?育児に励んでいた頃のママ猫と子育てに ...

    ジュリア

    演劇「部屋・ヴィクトリア駅」・ちぐさ座

    26日に、名古屋の千種文化小劇場・ちぐさ座で 演劇「部屋・ヴィクトリア駅」の2作品を続けて見ました。 美術担当が交流のある島崎 隆さんです。 ... 1930年生まれのイギリスの劇作家で2005年に ノーベル文学賞を受賞とのこと! やはり ...

    演劇「部屋・ヴィクトリア駅」・ちぐさ座