アメリカ 演劇関連エントリー

演劇鑑賞

... あらすじ(パンフレットより抜粋) 1948年から73年までの25年間 アメリカのまだ人種差別意識が色濃く残っているジョージア州アトランタ ... 俳優さんらしく 素晴らしかったです これで 今年の演劇鑑賞会も 終りました さぁ~ そろそろ 年末モードに ...

演劇鑑賞

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演劇鑑賞

[演劇]「The God father」

... ちょっと調べてみて、アメリカに 移民 した イタリア マフィア たちの攻防?衰退? 三男マイケルが新ボスになるまで? ちょー古くさい思った。 「Love theme from Godfather」 ちょー古くさい思ってたはずが、字幕追うのに必死。 ...

[演劇]「The God father」

7時間の超大作演劇「エンジェルス・イン・アメリカ」

《見てきた》7時間の超大作演劇「エンジェルス・イン・アメリカ」 2007年04月03日 第1部と第2部を通して7時間。そんな超大作の演劇「エンジェルス・イン・アメリカ」が東京都内で上演されている。1980年代のニューヨークでエイズに苦しむ人々を ...

7時間の超大作演劇「エンジェルス・イン・アメリカ」

手話通訳付演劇上演の案内(アメリカ)

手話通訳付演劇上演の案内(アメリカ) 日時:2月26日日曜日午後2時開幕 会場:パーム・カノン・シアター(Palm Canyon Theatre)* (カリフォルニア州パームスプリングス) 劇名:「数人の ...

手話通訳付演劇上演の案内(アメリカ)

アメリカ 演劇に関する質問

アメリカ 演劇 ハリウッド女優になるために

に、まずはアメリカの演劇学校または大学で、下積みをするのに英語力が必要だと思い、留学しています。今私は高2で、もうそろそろ進路というか、候補の大学などを絞っていきたいと思っています。だけれど、私はアメリカの大学事情

  ハリウッド女優になるためにの詳細


アメリカ 演劇 映像系の照明か舞台系の照明か

私は今、アメリカの大学で舞台芸術を学んでいるものです。その中でも、照明を学びたいと思っています。私は舞台照明は演劇ではなく、ミュージシャンのコンサートの照明デザイン、オペレーターをしたいと思っています。(学校では演劇の照明しかでき

  映像系の照明か舞台系の照明かの詳細


アメリカ 演劇 アメリカの大学

こんにちは。私はアメリカの大学に留学したいと思ってます。そこで質問なのですが、私は大学で演劇(役者)の勉強をしたいと思ってます。ですが、ダンスや歌なども平行に勉強したいのです。ミュージカル科などがあるいい大学

  アメリカの大学の詳細


アメリカ 演劇 この女優、誰だか分かりますか?

ったら教えて下さい。・アメリカ人。・時代は、まだ映画が世に知られていない頃。演技となっても台詞というものがなく、顔やしぐさで感情を表現しなくてはいけなかった。・10代半ばになると演劇の勉強を本格的に始め

  この女優、誰だか分かりますか?の詳細


アメリカ 演劇 進路について

、進路に関して非常に迷っております。僕は公立高校に通う2年生で、演劇部に入ってます。最近、演技をやっていく中で、演劇(芸能?)関連の職に興味を持ち始めました。しかし、通っている高校も進学

  進路についての詳細


アメリカ 演劇旅行記

Highlight Vol.9 ~幸運なTicket~(by ダイサクさん)

アメリカ 演劇
「ハヤカワ、ウィーン・フィルハーモニーのチケットやるよ。」

ベルギー駐在日本人派遣員の先輩(といっても欧州の会社の取締役)から突然言われてから一ヶ月後の昨日、仕事帰りにウィーン・フィルハーモニーのオーケストラを観に行ってきた。

言わずもがなだが、ウィーン・フィルは世界でも屈指の人気と実力を誇る世界最高峰のオーケストラ。と言ってもおれはクラッシックとかはあまりこれまで聞いた事なく、ウィーン・フィルについてもそれほど知らず興味もあまり知らなかった。

前日に他の日本人駐在員と話をしていたら、何でも世界三大オーケストラだと言う。日本で見るとチケットは数倍、入手も困難という。
「ハヤカワ君それはラッキーだよ。」ということのようだ。

ということで、ラッキーなチケットをもらった僕は、木曜日は仕事を17時半に切り上げてきてからアパートに戻り、焼きそばを作って食べてからBOZARへ車で向かった。BOZARとは「芸術の宮殿」と呼ばれる、グランプラス近くにある王宮の一角にある劇場。ここでは海外からも多くの人を集める超一流のコンサートや演劇が行われ、建築自体がアール•ヌーボーのリーダー、ビクトル•オルタに建てられた場所だという(From ガイドブック)。

20時からの開演の30分前に到着。
グランプラス脇に車を停めて、BOZARまで行き、チケットを交換する。

チケットをくれた先輩Tさんはどうやら昨年の6月に予約していたようで、ただ残念ながら今週はアメリカで社内会議が一週間開かれているのでチケットを譲ってくれたのだ。

仕事上、Financial Analystとしての上司はカナダ人であるが、企画管理としての上司はTさん。ものすごく頭がきれ、MBAも持っているTさんは、一方では旅行が好きで、昨年Tさんがモロッコを一人旅しているときは偶然おれの大学サークル同期と会ったみたいだ。子供は二人、うち一人は今年から就職というから、おれは息子と少しだぶるのかな、「チケットは早川にやる」って話を数ヶ月前に自分が行けなくなった際に周りの方には話していたようだ。嬉しいよね。

そんなこんなで行ってきたBOZAR。
知識も経験もまったくなく、初めてのクラッシック音楽オーケストラでウィーン・フィル。

夜20時前に会場に着く。
周りは着飾った上品な方がたくさん、日本人の姿もちらほら見える。

コートを預けようとお姉さんに渡すと「ここは違うから二階に行って右に行ったところで渡してね」ということで二階に上がり、席へと座る。チケット席は二階の舞台から左側の席。席はふかふかの赤い絨毯生地だった。

20時。
ボックス席の後ろドアが締められる。
途中入場はできないようになっているようだ。

そして、オーケストラメンバーが入場。

その後、指揮者が入場してくると場内拍手でわれんばかりになる。

会場のざわめきが、指揮者の一挙手に反応して静まっていき、始まった。


最初の音楽を聴いて、鳥肌が少し立つ。

そこまでクラッシックには詳しくないものの、どこかで聞き覚えのある曲ー。
ベートーベンの「田園」だった。



”あ~幸せ。”


休憩20分程を一回挟む3曲2時間構成。

演奏の最中に気持ちが良くなってくる。
場内は照明が落ち、皆が息を沈め舞台から湧き出てくる演奏者、指揮者のPerformanceに釘付けになる。

演奏が止むと、会場中に咳がこだまする。
そしてざわつきが聞こえ、指揮者の動きに応じてまた静かになっていくー。

二曲目はDebussyの「La Mer」。
全然知らなかったけど、指揮者と演奏者達を観ていくとあっという間に時間が過ぎていった。

オーケストラ自体これまで生で観た事なかったし、指揮者ってそんなにすごいのかなって思っていた事もあるけれど、今回生で観て、五感で感じて、指揮者のすごさを感じた。なんか格闘技程わかりやすくはないけど、心技体全てで勝負している印象を抱いた。

何事もやってみないとその凄さってのは、大変さってのはわからないもんだけど、指揮者ってどんな気持ちなんだろうとか。気持ちいんだろうかとか。あれは結構体力いるだろうなとか。あの指揮棒落ちないのかな?とか(笑)


そして演奏者達のパワーもほとばしっていた。
繊細な音色もあれば、パワフルな箇所もあったり、有名なベートーベンの音楽から最後まであっという間に堪能してきた。

三曲目は「Ravel - Daphnis et Chloé suite no.2 」。
これもまったく知らなく、ちょっと腰痛いなあ、なんて思いながら聞いていた。



そして驚きは終了後に待っていた。

22時10分、全三曲が終了し、場内は拍手に包まれる。
自然とスタンデイングオベーションをする自分。
演奏者達に敬意を表す気持ちとともに、ずっと座っていて腰が痛くなったっていう二つの理由からだ。(笑)

すると、一旦退場した指揮者が戻ってくる。
そして短いアンコール曲。

1曲やってくれて、ひと呼吸置いてから始まったアンコール曲が素晴らしかった!!

これを聞いたとき、指揮者の全身から、魂からほとばしるパワーとそれと一体になって音楽を織りなす演者たちとのPerformanceが素晴らしく、”すごい。”って感動して心を無にして聴き入っていた。

その曲は、




残念だけどわからない。(笑)
旋律は覚えていて、すっごい有名なのはたしかなんだろうけど•••。

今度探そうと思う。

終了後、会場内で偶然会った会社の先輩夫婦が「今日はラッキーだったねえ。」と言っていた。

”田園”とアンコールの曲、もう一度聞きたいな。

今度は一人じゃなく、愛する人と。

ダイサク

【旅行時期】2010/02/25~2010/02/25
【エリア】ブリュッセル
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ダイサク

世界遺産グアナファト&サン ミゲル デ アジェンデ(by ペリカン メキシコ&中米さん)

アメリカ 演劇
メキシコには多くのコロニアル都市が存在します。

そのなかでも今回は一番奇麗な街、そして共に世界遺産に登録されているサン ミゲル デ アジェンデとグアナファトの2つのコロニアル都市を紹介します。

まず、コロニアル都市とは?

クリオーリョ(メキシコで生まれ育ったスペイン人のこと)たちが1543年に銀山発掘の影響で莫大な富をもたされました。

クリオーリョ達はそのお金で自分達の街、国をスペイン以上にしたいという思いから街作りが始まりました。

当時ヨーロッパで流行っていた芸術、バロック様式を取り入れた建物が次々と出来上がり、メキシコの土地の風土を取り入れた独特なバロック建設の街がこうして完成するのです。

メキシコらしい鮮やかな装飾を持った建造物ができた街をコロニアル都市と呼ぶのです。

中には当時ヨーロッパから建築デザイナーを呼んで作らせたものに装飾だけを現地の先住民を使った例もあります。
芸術的文化的価値が高いのは勿論、先住民文化と西洋文化の融合の中から生まれたメキシコ独特のコロニアル都市の多くはユネスコ世界遺産として指定されています。

スペインの侵略を境に16世紀からの歴史からあるコロニアル都市はメスティーソ(メキシコ人とスペイン人の混血)文化をも作りました。現在のメキシコの中でメスティーソは80%を占めると言われています

植民地時代、独立戦争、革命の3つの舞台にもなったコロニアル都市、歴史を感じさせ、更に落ち着く街、日本にもアメリカにも存在しない街を旅してみたはいかがでしょうか。



グアナファト

グアナファト、メキシコシティから中央高原に走る事約5時間、そこにグアナファトがあります。
グアナファト,この言葉の意味は「カエルの丘」。

岩がむき出しの山が連なる不毛の盆地に存在するグアナファトはカエルしか住まない場所だったと言われております。

1548年に銀鉱山を発見したスペイン人がきっかけでグアナファトのコロニアル ヒストリーが始まりました。

グアナファトに到着すると一番最初に印象を受けるのは鉱山で栄えた時の排水講です。
現在では地下道になっていて,岩がゴツゴツしたまま残っています。
さらに,先に行くと石畳の道並みに出るのですがこれが大変美しい。言葉で表現するのが
難しいのですが,古い石畳の道が複雑に入り込み,信号機がない,ネオンサインや広告もまく
看板もない。16世紀のままのようです。
変な言い方かも知れませんが,ここグアナファトは世界遺産にも指定されているだけあって価値があります。

まず訪れたところは「くちづけの小道」山の斜面に建てられたグアナファト,狭い土地を有効に使うために建物は軒を接して建てられていています。

くちづけの小道の伝説。

『その昔,身分の違う若い男女が恋に落ちました。
名前はカルロスとアナ,二人の家は隣同士で窓を開ければくちづけができるほどの距離なのです。
アナの父親はカルロスとの交際を激しく反対してアナを刺し殺し地下に埋めてしまいました。』

メキシコ版ロミオとジュリエットです。

グアナファト大学。
1732年にイエスズ会の学校として建てられ1955年に大学となりました。
歴史的建造物にイスラム教要素も加わり新しいコロニアル建築でもあります。

ミイラ博物館。
メキシコでミイラといえばグアナファト。ミイラ博物館に行くと何と100体以上のミイラがずらり。
世界一小さいミイラもここグアナファトにいます。
グアナファトの鉱物室の土壌と乾燥した気候が普通の埋葬体をミイラ化にしてしまうそうです。
なので背広姿やドレス姿,赤ちゃんから老人まで並んでいます。
博物館外にはミイラ飴というものも売っています。(日本のべっこう飴みたいです).


サン ミゲル デ アジェンデ

メキシコ人に一番美しいメキシコの街はどこ?と問うと多くのメキシコ人はサン ミゲル デ アジェンデと答えます。

ここサン ミゲル デ アジェンデはグアナファトから車で約2時間。
サン ミゲル デ アジェンデの誕生はスペインの宣教師サン ミゲルと1810年独立運動の
リーダ イグナシオ・アジェンデからとられました。

芸術の香りがする町。
サン ミゲル デ アジェンデは芸術の町としても有名で,音楽・絵画・演劇などの行事が多く,
いつ訪ねても何かを見る事ができます。
多くの留学生が語学や技術を学びに来る事でも有名である。

サン ミゲル デ アジェンデで一番驚く事は中心部にあるラ・パロキア教会。
この教会はゴシック建設で19世紀に完成しました。
しかし,何処か違う感じがしたらやはり!。実はこのラ・パロキア教会は先住民のセフィリーニ・
グティエレス設計で建てられたのですが実は絵葉書一枚を参考にして建設されたのです。

杖で地面に設計図等を書きながら完成させたという伝説があります。

どうりで普通の教会とは何かが足りないという雰囲気を感じます。

この町では買い物をしましょう。

家具,食器,民芸品等色々多く,コロニアルの町をより一層雰囲気を出してくれる買い物品は非常に面白い。

種類も多く。まる一日買い物をしていても足りないくらいです。
また、色鮮やかな食器やかわいらしい民芸品等は本当に旅を楽しませてくれます。

センス・雰囲気の良い民芸品や家具をアメリカから買い付けに来る観光客も多く。

また,店同士の競争も激しいから品物だけではなくオシャレなお店も沢山あります。

サン ミゲル デ アジェンデの夜は大変奇麗なのです。
ラ・パロッキア教会に光がともり鐘が鳴り、石畳の道を歩いていると、とてもロマンチックです。
サン ミゲル デ アジェンデ、素晴らしい町です。

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    【旅行時期】2009/04/23~2009/04/25
    【エリア】グアナファト
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】ペリカン メキシコ&中米

    本場アメリカのミュージカルを見に行こう!(by 旅工房さん)

    アメリカ 演劇
    ミュージカルと映画は若い国アメリカが生んだ文化だ。
    そして、ニューヨークは、映画やミュージカルの本場。
    歌、ダンス、演劇、台詞、全てが完璧に揃う本場ならではの感動と興奮を体感してみよう!
    観客が少なければ突然打ち切りという厳しい世界。
    この競争を勝ち残った舞台だからこそ、
    私たちに与えてくれる感動と興奮も世界レベル。
    泣いて、笑って、喜んで、酔いしれて、
    知らずとあなたの心は、舞台のとりこ。
    身も湧き起る感動を是非。
    ニューヨークに行くならブロードウェイを見に行かないともったいないですよ。
    とにかく元気が欲しい人!
    今、映画で話題の「マンマミヤ」がおすすめ!
    1999年のロンドン初演から瞬く間に世界中を巻き込み、
    とどまることを知らない勢いで、たちまち
    ニューヨークでもロングランの仲間入り!
    ABBAによる有名なポップスミュージックに、
    心も体も引き込まれます。
    「全てが一体となる」が、映画との違い?
    とにかく行って、体感してきて下さい。

    【旅行時期】2009/02/05~2009/05/31
    【エリア】ニューヨーク
    【テーマ】エンターテイメント・テーマパーク
    【投稿者】旅工房

    NYに ハマる きっかけ旅行(by NOOBUさん)

    アメリカ 演劇
    大学2年時春休み、友人とニューヨークとフロリダ旅行
    この時、NYへは2回目。

    ■フライトはすべてNW。
    成田⇒JFケネディ⇒デトロイト⇒オーランド⇒ミネアポリス⇒成田。

    その当時NY線があったNW。
    夕方成田発、NY夕方に着くフライトパターンは非常に気に入ってました。なぜなら長距離線での疲れが、夜そのまま寝ることによりとれるから&時差ボケが無くなるから。

    NYに着いて、やはり気持ち興奮していますから街で数時間遊んで寝るというは楽しかったですね。

    フロリダまでの経由地を利用しての国内線NWの移動は、スッチーの年齢が国際線よりも一回りも二回りも若くて、アメリカ色を非常に感じた。差別などは全く感じなかった。


    ■航空券
    この時は、いろいろWEBサイトを探しまくってその時数十社で最安値であった旅ウェブで予約をしました。

    ■ホテル
    ホテルはマンハッタン島の中でも立地や値段、交通の便を考えに考え、HOTEL31 に宿泊。
    このホテル、その後NYに行く旅に何度も利用させてもらいました。
    予約はホテルHPより決済してました。
    なぜこのホテルかというと、
    【以下、高級志向の方は全く参考になりませんので注意】
    マンハッタン島のほぼ中央、エンパイアステートビルまで歩いてすぐ、近くにサブウェイステーションがある、ホテルのエレベーターが鎖式で昔っぽくて情緒ある、グランドセントラルステーションまでも歩いて行ける、公共バストイレもすごく清潔感がある、値段が安いということです。
    一度バストイレが部屋の中についている部屋にも泊まりましたが、普通に快適で今はどちらの部屋でも良いや!と思っています。←値段がまたぜんぜん違うので予算にもよりますけどね^^;

    ここのホテル欠点は、冷蔵庫がない(NYの安~中級ホテルはほぼそうですかね?)予約していたタイプの部屋がホテル側のミスで用意されていないことがある(2度経験)ということくらいです。値段が安いですからそんなにクレームということもないんですが、日本から直前電話にて、部屋タイプの確認と到着時間を伝えておこうと思ってリコンファームしてるにも関わらず、オーバーブッキングで用意されていないとなるとその当時は怒ったりもしてました。今だったら・・、適当な国民性はよく知ってるから怒らないと思う。他のホテルの部屋を用意してもらうか、アップグレードしてもらうか、何か特典をつけてもらうかしてもらうと思います。その当時は差額を決済したカードに返金というかキャンセルしてもらってました。(こちらから言わないとしてくれない(笑。)


    フロリダ・オーランドでは、ラマダを利用。
    すごく敷地&部屋が広くて、モーテルの2階建のような感じ。
    部屋のベッドはダブルベットが2つ並んでいて快適に感じる。
    その当時、一人一泊1900円くらいだったけれども。
    ディズニーワールドまでもシャトルバスが無料で出ていて便利だった。

    ■ブロードウェイ
    NYといえばブロードウェイ。
    初めて行ったときは興味が持てず見なかったが、当日朝発売されるAIDAのスチューデントチケットを並んで観る。
    たしか$25前後で最前列。
    目の前で迫力ある歌う様子や、演劇の細かい部分・動き、オーケストラの音が目の前から聞こえてくるのが感動で、良い経験となった。

    ■買い物
    ウィンドウショッピングのほかに、ディスカウントデパート巡りをして全世界のカジュアルブランドで安くなっているものを買いあさっていた。だいたい$100以上→$19~$50といった感じだった。
    日本人は、全くといっていいほど見掛けなかった。
    居ることは居るのだろうけども、観光客は知らず入らないのであろう。

    クリニークなどメンズコスメなんかも洗顔からローション、乳液のセットで買うと免税店より50%以上安く購入することもでき、その当時驚きの連続であった。


    フロリダ・オーランドでは、ホテルが並ぶ道にお土産ショップやスーパーマーケットが並び、徒歩で見廻る。

    ■食事
    軽く済ませたいときはサブウェイ、マック。
    ディナーはハードロックカフェ、ロックフェラーセンター近くのUFO火星レストランなど利用していた。

    フロリダでは、半分はディズニーワールドで、
    半分はホテル付近にあるアメリカンレストランで食べる。
    量の割に安く、味もイケてた。
    若干テーマパーク的な要素もあるフロリダオーランド街のレストランは好きです。

    ■地下鉄
    2回目の訪問だったが、いろいろな色のラインに乗り、急行や駅で戸惑うことも多かった。最後は地図なしで楽しめるくらいになった。

    空港からマンハッタンまでは、貧乏旅行であったので、
    地下鉄を利用してホテル近くまで移動した。
    たしか$1.5で移動。
    バスだと$20前後だったから頑張った。
    大きなスーツケースを持って地下鉄に乗り降りしていたのは、その当時変な光景だったと思う。NYは地下鉄が狭い階段だから大きくて重い荷物は超大変で恥ずかしいとも思った。

    ■観光
    お決まりのテロ跡、自由の女神、エンパイアステートビル、セントラルパーク、タイムズスクエア通りといった感じ。

    フロリダでは、ディズニーワールドを一日入っては次の日ホテルで一日のんびり休み、またディズニーワールドに行っていた。
    ディズニーワールドはパークがその当時7つあったから、
    3つ廻るだけでもすごく想像を超えるものがあり、楽しかった。
    日本にはない、ロックンローラーコースターはスリルもあり最高に好き。

    ■カルチャーショック
    電車の中で歌いながら歩いて移動している人を見て凄いと思う。
    CDショップでも店のヘッドホンして音楽聴きながら踊る人もいて、楽しそうだなと思う。

    フロリダの英語は、やはり聞き取りが難しかった。
    のんびりしていて好きだけれども。

    【旅行時期】2003/03/19~2003/04/01
    【エリア】ニューヨーク
    【テーマ】
    【投稿者】NOOBU

    北カリフォルニアのクリスマス その5(by Mark & Risbeauさん)

    アメリカ 演劇
  • http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10222814/
  • からつづく】

    明けてクリスマス・イブは早くから目が覚め、早速窓から外を覗く。窓から見える風景を独り占めできることが嬉しくて仕方がない。今日もいい天気だ。

    ノブ・ヒルのケイブル・カー交差点からユニオンスクエア方面向けの車に乗る。クリスマス期には、ケイブル・カーは1台1台、思い思いの装飾で飾られるが、僕らが乗った車は、車内に入って見上げると広告スペースがギフトラップしてあった。

    今日の予定は、サンフランシスコの歴史的建物のツアーだ。とりあえず、コーヒーを買って、まだひと気の少ないユニオン・スクエアのテイブルで例のスコウンを食べながら作戦会議。

    ショッピングの中心ユニオン・スクエアの名は、南北戦争(1861-1865)勃発直前に北軍(ユニオン)側支援の大会が繰り返し開かれたことにちなむ。僕はここに来るといつも、スクエアの中心に立つ90フィート(27メートル)のデューイー・モニュメントを見上げてみる。1906年の大地震にも耐えた花崗岩製の頑丈な塔である。

    この塔は、キューバでの紛争から勃発した1898年の米西戦争で、スペイン艦隊を撃破しマニラ湾を奪取した米海軍のデューイー提督の快挙を記念して建てられた碑である。デューイー提督の活躍の結果、キューバ、フィリピン、プエルト・リコがスペインから独立し、アメリカの保護下に置かれることになる。グアムもこのときスペインの統治から外れた。

    ユニオンスクエアの西側に聳えるのが、1904年築のセント・フランシス・ホテルだ。ビッグ・フォーの一人、チャールズ・クロッカーの遺産で建てられた伝統あるホテルである。サンフランシスコを西部のパリとするべく、当時の欧州の主要なホテルを参考に設計された。しかし、不幸にも開業のわずか2年後大地震後の火災で建物内部は焼け落ちてしまう。

    翌1907年に不死鳥のごとく営業再開、1908年に、向かって右側に第三のウイングを、1971年に背後に32階建ての高層の新館を追加し、サンフランシスコを代表する伝統あるホテルとして君臨してきた。

    例年ホリデイシーズンには、ユニオン・スクエアに巨大なクリスマスツリーが出現する。このツリーは、スクエアの向かいにあるMacy's百貨店からサンフランシスコ市民へのプレゼントである。

    ここのメイシーの歴史は、1866年創業のO'Connor, Moffat &
    Kean Co.に遡る。中上流階級を相手に保守的なファッションを専門にしていた同社は、1928年にユニオンスクエアに進出、45年には後継者難に見舞われたところを西海岸進出を狙っていたニューヨークの百貨店R. H. Macy'sに買収された。よそ者には冷ややかなサンフランシスコだが、このメイシーは夙に市民権を得ている。

    1876年創業の高級衣料専門店、I. Magninは、1948年にユニオンスクエアのMacy'sの隣に旗艦店をオウプンした。当時全米でもっともエレガントなデパートとして名を知られた店である。このデパートも最終的には1988年にMacy'sに買収され、ユニオンスクエアの東側にはメイシーが並ぶことになった。その凹凸のないあっさりした表面は鳩害を防ぐためだそうだが、長年「白い大理石の宮殿」の愛称で市民に親しまれてきた。骨組みは1905年築のオフィスビルのものが使われている。

    ユニオン・スクエアの南東の角にはテキサスの高級デパート、ニーマン・マーカスがある。この場所には、1896年から1970年代までCity of Parisというパリの最新ファッションを専門とする高級デパートがあった。このデパートを所有したフランス人は、19世紀半ばにゴウルド・ラッシュで世界中から訪れる人々に肌着を売るために移民してきたが、ここに店を持つまでは湾に停泊した船上が商いの場だった。

    City of Parisの中央にあった有名な円形の吹き抜け(rotunda)は、1981年に再建された現在のビルの入口にそのまま移設された。毎年クリスマス時には、天井まで届く見事なクリスマス・ツリーが展示される。しかしながら、この伝統的建物を取り壊した現所有者のテキサスのデパート・チェーンに対しては、サンフランシスコの人々の感情は必ずしも好意的ではない。

    この建物の前を東西に走るギアリー通りを東に進み、街を斜交いに走るマーケット通りとぶつかる対面に、パレス・ホテルがある。パレスこそ、サンフランシスコの誕生以来、世界に通用する最初のホテルだった。

    カリフォルニア銀行を設立した実業家ウイリアム・ラルストンは、サンフランシスコを世界に誇れる街に育てたいと考えた。ネバダ州で始まったシルバーラッシュが産む利益をつぎ込んで多くの公共事業に投資したラルストンは、1871年に総工費7百万ドル(今の120百万ドル)、工期5年の生涯最大のプロジェクト、パレス・ホテルの建設に着手した。

    しかし、銀市況の暴落と行きすぎた投資のため、彼の銀行は倒産の危機を迎える。取り付け騒ぎの報せを受けたあと、ラルストンは日課の湾での水泳に出掛けたまま戻らぬ人となった。儚くも1ヶ月後のパレスホテルの開業を目にすることはなかった。

    最高級の建材で建てられ一流の調度を揃えたパレスは、当時としては桁外れの7,000の張り出し窓と全800室を数える豪華かつ壮大な建物だった。さらに、4基の油圧式エレベイタ(「登る部屋」)や近代的消火設備の最新技術のほか、各部屋には業界初の呼び出しボタンが設置されたハイテクホテルでもあった。当時ここを訪れたブラジルの皇帝は、パレスほど自分の国をみすぼらしく見せるものはない、と嘆いたという。

    そんな豪華なホテルも、1906年の震災の餌食として無惨に焼け落ちてしまう。しかし、当年の優雅は現在同じ場所に立つ1909年築の新生パレスに垣間見ることができる。とりわけ、かつて吹き抜けの馬車寄せがあった場所に設けられたガーデン・コートは一見の価値がある。

    パレス・ホテルが建つマーケット通りは、まだ街の中心が他の地域に移る前、19世紀末には、大きな商店やビジネスが軒を並べる目抜き通りだった。当時通りに面する建物の長さと高さは、ベル・エポックのパリに倣って3対2の比率で設計されたという。そんな往年の写真でひときわ目を引くのが、コール・ビルディングである。

    印象的なドウムを天辺に頂き、19世紀末のサンフランシスコのスカイラインを飾ったコール・ビルディングは、一時マーク・トゥエインが記者として勤めたこともある新聞社の本社ビルだった。1898年の完成当時、この鉄骨造りの18階建てビルはシカゴ以西で一番の高さだったそうだ。コール新聞社のオウナーだった負けず嫌いの砂糖長者は、ライバルのクロニクル紙とイグザミナー紙の本社の隣に、遙かに目立つ立派なビルを建てて他二社を牽制したのである。このビルの写真や絵葉書が特に多く残っていることを見ても、このビルが如何に当時の人々を魅了したかを窺い知ることができる。

    しかし、コール・ビルディングも、他のビル同様1906年4月にサンフランシスコを襲った大地震とそれに続く火災のため全焼した。鉄骨が幸いし外部構造はそのまま残ったので、震災後2年で無事復元された。しかし、真の不幸は1938年に訪れる。当時盛んだった近代化の波に呑まれ、見事なバロック風ドウムは撤去され、追加のフロアで置き換えられてしまう。逆境を生き抜いた貴婦人が、無惨にも紋切り型の現代娘の姿に化粧替えさせられたようで、残念でならない。

    創業1856年のコール紙は1965年にウイリアム・ランドルフ・ハーストのイグザミナー紙に吸収されたが、当時イグザミナー紙は北のサード・ストリートを夾んで向かい合うハースト・ビル(築1890年、現在のビルは震災後の1910年築)に本社があった。イグザミナー紙は、次々と所有が変わり2003年に無料のタブロイド紙に姿を変えている。

    一方、今日サンフランシスコのみならず西部を代表する有力紙クロニクルは、1865年若きデヤング兄弟が手元資金20ドルで市内の演劇ガイドとして始めたタブロイド紙だった。ある日ネタ集めで電報局に立ち寄った弟チャールズは、そこでたまたまリンカン大統領暗殺の特ダネを耳にした。彼は、モールス信号が解読できたのである。大急ぎで家に戻り、記憶を頼りに記事を印刷して号外を配ったところ、一躍サンフランシスコ中の注目を浴ることになった。こうしてクロニクル紙は有力新聞の第一歩を踏み出したのだった。

    1890年築の旧クロニクル本社はイグザミナー紙とコール紙と鼻をつき合わせる場所に本社があった。屋上の大きな時計がビルの目印だった。

    1965年からかつての競合相手のイグザミナー紙と協力し、朝刊はクロニクル、夕刊はイグザミナーが発行する態勢を35年続けた。2000年にクロニクルを所有していたデヤング家がその権益をイグザミナー紙のハースト出版に譲渡し、独禁法抵触を恐れたハースト出版は逆にイグザミナーを売りに出した。結果的にはハースト出版がクロニクルを発行するという、ウイリアム・ハーストやデヤング兄弟が聞いたら仰天するような組み合わせになったのだった。

    1962年から「近代的」なカーテン・ウォールで覆い隠されていた旧クロニクル本社ビルは2005年から2年を費やして往年の表装に復元され、去年の11月より長期滞在型の高級レジデンスとして再利用されている。歴史的偉業を成し遂げたリッツ・カールトンに大拍手。

    さて、マーケット通りを南に下ったオファレル通りとの鋭角の交差点に立つウエディング・ケーキのスライスのような建物は、1908年築のフィーラン・ビルである。昔のアイロンに形が似ていることから、建築の世界ではフラットアイロン(火のし)型というらしい。不利な地形を決定的な勝利に変換した見事な例だ。ビルの名の由来のジェイムズ・フィーラン(1861-1930)はサンフランシスコ市長とカリフォルニア州選出の上院議員を務めた銀行家である。

    マーケット通りを渡った反対側には、1906年築のハンボルト・バンク・ビルが立っている。上のコール・ビルディングの影響が明かで、かつてのコール・ビルのものより遙かに小振りではあるが、バロック風のドウムが今日まで保存されている。

    スチールとガラスで作られた四角いビルが並ぶ中、優雅だった時代の雰囲気を今に伝える生き証人として貴重な存在だ。こうして、午前の部、ベル・エポック遺産ツアーは終了。ケイブルカーに乗って、ホテル近辺に路駐していた車を拾いに戻った。

  • http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10224626/
  • につづく】


    【旅行時期】2007/12/22~2007/12/26
    【エリア】サンフランシスコ
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】Mark & Risbeau

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